編集こぼれ話

 看護の世界においても過度に科学性,客観性(evidence)が求められる現状にある中,近年,医療の世界においても「ナラティヴ」という言葉を基軸に当事者の「語り」が注目されてきました。私自身,これまで強い関心をもっていたテーマでしたので(「ナラティヴ・アプローチ」に関してはわかるようでよくわからない部分もあるのですが),どうしても実現したい特集企画でした。
  実際にご執筆いただきました方々のテキストを読んでいると,あらためて,「語り」というその素朴な言葉の背景に,実に多様で,そして本質的な命題が存在することを知りました。「傾聴」「共感」「受容」という言葉に代表されるように,看護はこれまでも当事者の「語りを聴く」ことを自らの専門性の1つとしてきましたが,では,その「語り」とは一体何か。また,「語り」はなんのために語られ,なぜ医療者に届けられるのか(松澤和正先生ご執筆の『聞えない声はどこに届くのか―精神科看護における「語り」について』をご参照ください)。また,臨床の基底に存在するこの無数の「語り」を「記述」するという営みには,原理的にどのような限界が存在するのか(大西香代子先生ご執筆の『「語り」と「記述」』をご参照ください),など。いずれにせよ,これらの命題はすべて「看護(精神科看護)とは何か」という本質的な命題に行きつくものではないでしょうか。
  私どもは臨床家でも研究者でもありませんが,この「語り」をはじめ,精神科臨床をめぐる「言葉」,あるいは松澤先生がいうところの「声」にかかわる身として,それらに対しどのような態度で臨むべきなのか,あらためて,深く考えさせられる特集となりました。