編集こぼれ話

 臨床看護師の実践を支える方法論としての看護過程。その要は,患者さんの状態をつぶさに観察し,情報の収集と統合,解釈を行う「アセスメント」ではないか。そんな問題意識から本特集を企画しました。精神科看護では,コミュニケーションのためのスキル・技法,あるいは介入の理論的枠組みについてフォーカスされることは多いものの,その前提(前段階)となるはずの「アセスメント」については,あまり多くの言説や議論が費やされていないのではないか,そんな印象がありました。それは,各稿の中にも見られますが,対象とする患者さんの状態や症状にあまりにも個別性が高すぎて理論的な枠組みの設定・整理が難しく,故に個々の経験に根ざした経験知・暗黙知によるしかない,という臨床的実感によっているのではないかとも思います。ときに,そこにはある種の諦観すら感じさせられます。
  1人の人間を看る,という大きな営為を前にして「杓子定規のようにははかれない」という実感をもたれるということは,その方の誠実さの表れでもあると思います。そこに一律の根拠や裏付けを求めようとすることは,いささか暴力的な気がします。ただし,一方で,それを個々の経験による"直観"と片づけてしまうこともまた,思考停止のそしりを免れないのではないでしょうか。問題は,その"直観"が何によって支えられているのかという点にあるからです。
  また,アセスメントの問題がはらむ射程は広く,たとえば看護研究の問題にも連動してくるのではないかと考えています。「情報を収集し,分析,解釈を行う」というアセスメントのプロセスは,研究の思考プロセスに極めて近いものであると考えられるからです。故に,個々の事例に対してていねいなアセスメントのプロセスを経ずに,理論的な枠組や先行結果にその根拠を求めようとする臨床実践は,「強引な結論」や「無検討な方法論」先にありきの看護研究を行うことと同様の矛盾を孕んでいると思います。
  本特集がこれらの問題に踏み込めているのかといわれれば,不十分と言わざるを得ないかと思いますが,あらためて「(精神科看護の)アセスメント」について考えるための一助となりましたら幸いです。